大鳥居はどこ? 大鳥居はここ!! 1,981の大鳥居 1,990の大鳥居 1,994の桐生辻
(昭和56年) (平成2年) (平成6年)
滋賀県大津市上田上大鳥居町は東の信楽から大戸川が本流となって流れ、北の金勝からは水越川が注ぎ込み、南から田代川が合流する所に位置しています。又京都、大津方面、栗東から信楽への交通の要所でもあります。地名の「大鳥居」には幾つかの名の由来が残されています。
天平3年(731)に安楽寺(明治元年廃寺となる)、天平5年金勝寺、天平14年紫香楽宮が建立されています。これらの建立に当たったのが飛騨国から来た匠の集団と思われます。近江興地志略(享保19年 1,734)には「飛騨の内匠の集団が居住していてある時、西土(今の中国)へ行きたいと望み自分で大きな鳥を作って飛んで行ったことから「大鳥居」と名づけられた。」という逸話が残されています。
又金勝寺所蔵の金勝寺古図(天暦8年 954)に大鳥原と記されてあり大鳥原が後世大鳥居に転化したと思われます。
近江国栗太郡村誌(明治18年成立)には平城(現在の奈良)より金勝寺への参拝路上であり寺の前方で大鳥居があった地 故に村名になったと記されています。
平成9年(1,997)3月30日の「大鳥居閉村式」時の世帯人口は桐生辻と合わせて53世帯、人口206人でありました。
上田上桐生辻は登記上の地名は上田上桐生町一丈野で嘉永2年(1,849)桐生より分村し居住しています。当初は1戸だったがその後分家したり、桐生から移り住み4戸となり、平成9年(1,997)の移転時には8戸ありました。
信楽から瀬田へ通じる大戸道と狛坂谷に沿って険しい山越えで桐生から草津に出る矢走道の分岐点のここは狛坂寺への参拝口としても交通の要所でありました。又奈良時代(710~784)の銅銭「和銅開珎」製造の窯跡や縄文・弥生・平安の土器が出土した「桐生辻遺跡」もあり、出土品は県立埋蔵文化財センターに保存されています。
私たち大鳥居住民は昭和43年(1,968)以来、約40年間大戸川ダムとかかわってまいりました。その間言葉では言い表せないような経験を致しました。しかしその結果、「下流域の人々の為に又国家の為にこの大戸川ダム建設事業に協力しよう」との結論に達し、住民すべての総意で「1,200年の歴史ある地」を捨てる苦渋の選択を致しました。
そして平成9年(1,997)8km西の丘陵地に「新しい大鳥居」を開村いたしました。
お粗末なホームページですが今は無き故郷の在りし日の姿を集めた「滋賀・大津 大戸川ダム建設計画で消えた町ー我が故郷大鳥居」をご覧頂ければ幸いに存じます。
大津市のご協力、ご援助により「故郷大鳥居」に対する想いと「新生大鳥居」への願いを込めて平成18年(2,006)3月、「ふるさと記念大鳥居収蔵庫」を新しい大鳥居の地に開館致しました。このホームページ記載の原画や故郷の遺品、異物、文書類等を保存収蔵しております。
尚大戸川ダムについては下記のページをご参照ください。
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/dam/daidogawa.html
- 作品名
- 滋賀・大津 大戸川ダム建設計画で消えた町ー我が故郷大鳥居
- 登録日時
- 2009/04/03(金) 10:00
- 分類
- ①滋賀・大津 大戸川ダム建設計画で消えた町ー我が故郷大鳥居